私自身、戦争を経験したことはもちろんなく
色々な方のお話や映像でしか見たことはありません。
皆さんの様々な思いはあるでしょうが
数多くの亡くなられた方への追悼の気持ちと
亡くなられた方達の犠牲の上で、今の生活が出来ることを考え
忘れないようにしていきたいです。
ご先祖様・故人も明日の16日で帰られてしまいますね。
今の私達の命や生活が出来るのもご先祖様や故人のおかげですね。
このおかげさまという気持ちや、ありがとうという気持ちを持って
明日、帰られるご先祖様や故人に接していたいです。
あらためて「点ではなく線」
人は一人(点)ではなく、常に人と繋がっている(線)
ということを考えさせて頂きました。
]]>皆さん、帰省したりお墓参り等、様々な所に行くことと思われますが
事故・怪我・熱中症にお気を付け下さい。
皆さん、ご先祖様や故人を迎える準備はお済みかと思います。
今日の夕方にタイマツや麻ガラなどで
迎え火をしてご先祖様や故人を迎えて下さい。
迎え火をした後は、しっかりと火の始末をして
長い旅路を経て帰ってこられたご先祖様や故人をいたわり
ゆっくりとお過ごしください。
]]>地元の仲間たちとかき氷や焼とうもろこしを売ります。
お近くの方はぜひお立ち寄り下さい。
話は変わりますが8月16日に行われる五山送り火が、
お盆と関係があることをご存知ですか?
テレビで見たことや京都に見に行かれた方もいるかと思います。
よく、テレビでは「大」の字が山で点火される場面が写されますが
「大文字」だけではなく「妙法」・「船形」・「左大文字」・「鳥居形」
があり、これらをまとめて五山送り火といいます。
「船形」・「鳥居形」は文字ではなく船の形・鳥居の形になります。
写真を見て頂ければ、一目瞭然ですが写真が無く申し訳ありません。
以前は、五山だけではなく
「い(かながしら)」・「一」・「竹の先に鈴」・「蛇」・「長刀(なぎなた)」
がありましたが明治時代から昭和初期頃にかけて段々となくなりました。
なくなった理由も諸説あり定かではありません。
また五山についても起源や誰がはじめたかも様々な史料はあるものの
俗説の域はでておりません。
平安時代・室町時代・江戸時代等、いろいろな説があるみたいですね。
各山の送り火の保存会が違うため、点火の仕方や合図の仕方も違います。
ただし、保存会が違っても送り火としての意味合いは全て同じで
お盆が終わり、あの世に帰る「お精霊様(おしょろいさま)」(ご先祖様・故人)
の無事を祈って送り火を行うということです。
「大文字」では護摩木に氏名と病名を書き込み、点火の際に一緒に
焚いてもらうと病気が治るといわれています。
更に送り火に使われた炭は魔除けになるともいわれています。
この仕事をしている限り、見に行くことは叶いませんが。
一度は見に行きたいものです。
ちなみに五山を小さいながらも全て見える場所は
京都国際ホテルとイオンモール京都ハナの屋上駐車場みたいです。
予約などが必要となる場所もあるのでご確認ください。
可能か分かりませんが
いっそのことヘリコプターをチャーターしてみるのもいいかもしれませんね。
]]>行われた金魚まつりに家族で行ってきました。
この時期は各地でお祭が行われ、気持ちが高揚しますね。
北名古屋市でも8月の3・4日と平和夏まつりが行われます。
お祭といえば、櫓(やぐら)を組んで盆踊りですね。
盆踊りはもともと、お盆に行われ精霊供養であったり
神様を祀るものであったり、お盆に帰ってくる
ご先祖様の御霊(みたま)を慰めたりなどの
仏教行事の意味合いがあります。
お盆の由来~1~で書かせて頂いた餓鬼道にいる
お母さんを救った目連さんの踊りなどが盆踊りのルーツです。
日本では、この目連さんの話から
平安時代に空也上人の念仏踊りによって始められました。
鎌倉時代になりますと、一遍上人により庶民を巻き込み
服がはだける程、踊り狂いました。
これは、念仏で救われる喜びを体現したものです。
この時代以降になってくると権力や財力を持った町民が様々な趣向を凝らしていきます。
また仏教行事よりも演芸に傾いていきます。
太鼓などの道具を使い、華やかな衣服になり、
音楽に合わせて踊るようになりました。
集落ごとに競い合うようにもなりました。
昔は当然、旧暦のお盆である7月15日か16日で行われていました。
十五夜と十六夜(いざよい)でどちらかの日には満月になりますので
月明かりで夜通し踊っていたみたいです。
今では、昔ながらの音楽だけではなく
アニメの曲やヒット曲で踊るのも多いですね。
時代と共に盆踊りも変わっていくのですね。
]]>お掃除をしながら、色々とお話をさせて頂いていると
お客様から「お盆とお施餓鬼(せがき)は違うものなのですか」と
ご質問を頂きました。
お盆とお施餓鬼、共に行うことが多いため
混同されやすいですが、異なる行事と考えて頂いてもよろしいかと思います。
お盆とお施餓鬼はお盆の由来1・2でも書かせて頂いたように
目連さんとイケメンの阿難さんのお話によります。
両方のお話に餓鬼道や餓鬼が出てくるために区別がしにくいですが
もともとは阿難さんのお話がお施餓鬼の由来で
目連さんと阿難さんのお話が混同して今のお盆の由来となりました。
お盆はご本尊さま・精霊様・ご先祖様・故人(新仏)に色々と供養して
ご冥福を祈ったり、ご先祖様や故人のために徳を積むためのものです。
お施餓鬼は餓鬼に施しをして徳を積むためのものです。
自分への戒めとして思うことですが
今の日本では物や食べ物が大量にあり、生活も便利になりました。
まず、衣食住で困ることは中々ありません。
その生活に胡坐をかいてしまい
無駄な消費をしてもったいないことをしているなと思います。
これでは餓鬼と一緒だなと感じます。
仏様やご先祖様を大事にし、ものを大事にして
施しや徳を積む心は、自分を戒め養う心だということを
常日頃、胸に持っていたいと思います。
]]>今回はキュウリの馬・茄子の牛、盆提灯に続き
精霊棚の盆飾りについて書かせていただきます。
ただ、精霊棚の盆飾りは宗派・地域・各ご家庭によって
様々ですので一例としてご紹介させていただきます。
まず、棚ですがこれはご家庭にあるミニテーブルでもいいですし
仏壇の膳引きを使われたり、お盆用の経机もあります。
この棚にマコモを敷いていただき、その上に経木(お膳)を3枚置き
経木の上に各3枚ずつ白皿を置きます。
3膳、用意するのは精霊様・ご本尊様・ご先祖様・故人(新仏)等、
色々いわれがあります。
また、ご家庭によってはご先祖様すべてのお膳を用意される場合もあります。
お膳の代わりに蓮の葉を用意したり、供養膳とよばれる漆器を使う場合もあります。
経木に白皿を使われる場合は箸代わりに麻ガラを2本、お膳の前に置きます。
白皿・蓮の葉・供養膳には水にミソハギ(ミソハギ科の多年草)を入れたり、
水の子(茄子をサイの目に切ったもの・
また、お米やキュウリをサイの目に切ったものを混ぜる地方もあります。)や
だつ汁(つる芋の汁物)・そうめん・せんごくとささぎ等の豆と茄子の味噌和え・
迎え団子などを供えたりします。
上記以外で私見ですが、皆様がお盆期間中に食べられる物を
お供えして頂いてもいいかと思います。
お膳以外にも食べ物は野菜・果物・お菓子などをお供えします。
お位牌やキュウリの馬・茄子の牛や生花(トゲのない物)も精霊棚にお供えします。
依代といって、精霊様を迎えるために
精霊棚の四隅や両側に笹竹を立て、笹竹の上部にしめ縄やマコモの網をはり
そこにミソハギ・ガマの穂・粟の穂・栗の穂・鬼灯(ほおずき)などの盆花を飾ります。
鬼灯は形が似ていることから提灯の代わりともいわれています。
冒頭でもご説明させていただいた通り、宗派・地域・各ご家庭によって
飾りかた・お供えなど本当に色々です。
皆さんのできる範囲内で
お子さんや一緒に過ごしている家族と共にお飾りやお供えをしていただき、
お盆の文化や風習を忘れることなく、ご先祖様や故人をお迎えして
供にお盆をお過ごしください。
]]>今更かもしれませんが、提灯は火を保護するための物で
提灯を飾るのはお灯明(神仏に供えるともしび)を供えるという意味合いです。
仏教では仏様の智慧(ちえ)を光で表しています。
仏様のお灯明にまつわる話で「貧者の一灯」という話もあります。
この話の詳細は省きますが、
まごころをこめて供養した物は尊いというお話です。
室町時代の頃に持ち運びが出来るように
木枠や竹枠に和紙を貼った提灯がつくられ
江戸時代になって、折りたたみのできる提灯になりました。
はじめは無地の和紙を貼った物でしたが
段々と綺麗な草花や風景など繊細優美な絵や家紋などを
描いた岐阜提灯が出来ました。
お盆にお墓の前でオガラやタイマツを焚いて
その火を提灯にうつし、家までそれを持って、帰ってきたご先祖様や故人を案内したり、
お墓が遠方の場合は家の前でオガラやタイマツを焚いて
これを目印にご先祖様や故人に帰ってきてもらうというのが
お盆の迎え火という行事です。
また、迎え火の火を家の中にある盆提灯に移します。
最近では、火事の心配もありますので盆提灯の中に
火の代わりに電気や電池を利用したローソクの形をしたローソク灯を使います。
新盆のお家は白張提灯を飾りますが
ご親戚の皆さんからたくさん白張提灯を頂いても
その年限りになってしまいますので
ご親戚の皆さんとお話いただいて岐阜提灯を頂いたり、ご自身で購入して
ご親戚から提灯料として頂く場合もあります。
盆提灯は仏様に供養するものであり、
ご先祖様や故人がお家に帰ってくる時に迷わないための目印ですね。
職人堂では様々な大きさやプラスチック等ではなく木製の
岐阜提灯や伝統工芸品の岐阜提灯を多数展示・販売しております。
]]>この時期はどうしても食欲が落ちますね。
冷たいものばかり取らず、夏野菜を使った料理で夏バテを
起こさないように気を付けたいですね。
夏野菜と言えば、キュウリ・茄子・トマトなどありますが
皆さん、お盆に箸や麻がらを足代わりにして
キュウリの馬と茄子の牛を作りますね。
これはご先祖様や故人がキュウリの馬に乗って
少しでも早く自宅に着いていただくための物です。
また、茄子の牛はご先祖様や故人を送る時に
ゆっくりとこの世の景観を眺めながら帰っていただくための物です。
また、茄子の牛はこの世に帰ってくる時やあの世に帰る時の
荷物を運ぶともいわれています。
七夕でもキュウリの馬と茄子の牛は神様の乗り物として活躍します。
これは前回でも書かせて頂いた
七夕が元々、豊作を感謝したお祭で
そのために茄子とキュウリをお供えした物だと思われます。
その流れで盆飾りでも使われるようになったのですね。
この時期はキュウリの馬と茄子の牛は大忙しです。
馬と牛を、い草・藁・笹などで編んで細工した物もあります。
]]>釜蓋朔日(かまぶたついたち)について書かせて頂きました。
今回は、これまた意外にもお盆と関係のある七夕について書かせて頂きます。
もともと、七夕は棚幡・棚旗・棚機などと書かれ、
タナバタという文字も、仏様・神様やご先祖様を祀る祭壇の棚(精霊棚)、
仏様・神様やご先祖様が宿る依代(よりしろ)としての旗から来ていると言われています。
また、七夕に飾る笹も仏様・神様やご先祖様が宿る依代と言われています。
依代ではなくお盆供養幡・施餓鬼幡(せがきばた)のように
お経を記した物や仏・菩薩の威厳を精霊棚に安置する幡の意味合いもあります。
七夕の日も本来はお盆行事の一つであり、
旧暦の7月7日の夕方から精霊棚や幡・旗や笹を安置をして
ご先祖様を迎える準備をしました。
7日の夕方に準備をすることで
棚幡・棚旗から七夕になったとも言われています。
棚機という文字はは棚機津女(たなばたつめ)の伝説からきています。
日本古来としては豊作を祖霊に祈る祭やお盆行事や棚機津女(たなばたつめ)の伝説と
中国の行事であった女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)や
星祭りが合わさって現在の独立した七夕の行事になったと考えられています。
以前、書かせて頂いた明治の改暦によって8月にお盆を行う地域が増えたことにより、
お盆と七夕の関連性が薄らいだのではないでしょうか。
こうして見ると、日本は古来からある文化と新しく入って来た文化を
上手に合わして、更に発展させていく国なんですね。
日本の文化を勉強すればする程、興味が湧いていきますね。
]]>実は1日からということをご存知でしょうか。
1日を釜蓋朔日(かまぶたついたち)といい、
地獄の釜の蓋が開きます。
釜の蓋が開き、地獄に閉じ込めらていた
精霊(ご先祖様)が出てきて、子孫の待つ家に向かいます。
そして私達は釜蓋朔日を境に
お墓に行ったり、ご先祖様を迎える準備を始めます。
地獄が何処にあるかはわかりませんが
ご先祖様は半月かけて私達の所へ帰ってきてくれるのです。
また、地域の風習では山や川から里に続く道の草刈りをします。
これはご先祖様が地獄から山や川を通って帰ってくるという考え方にならい
その彼岸から帰ってくるご先祖様が通りやすいように行います。
また言い伝えでは地獄の釜の蓋が開く時期は
海・川・池などには近づいては行けないという話や
1日に井戸や家の軒下や地面に耳をつけると
釜の開く音や閻魔様が釜の蓋を叩く音がするなどの言い伝えがあります。
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